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山口剛 (文学者) : ミニ英和和英辞書
山口剛 (文学者)[やまぐち たけし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [くち]
 【名詞】 1. mouth 2. orifice 3. opening 
: [ぶん]
 【名詞】 1. sentence 
文学 : [ぶんがく]
 【名詞】 1. literature 
文学者 : [ぶんがくしゃ]
 【名詞】 1. literary person 
: [がく]
 【名詞】 1. learning 2. scholarship 3. erudition 4. knowledge 
学者 : [がくしゃ]
 【名詞】 1. scholar 
: [もの]
 【名詞】 1. person 

山口剛 (文学者) : ウィキペディア日本語版
山口剛 (文学者)[やまぐち たけし]
山口 剛(やまぐち たけし、1884年明治17年)3月1日 - 1932年昭和7年)10月8日)は、国文学者・中国文学者・早稲田大学教授。号は、聾阿弥・不言斉主人など。
== 生涯 ==
『山口常太郎』と『なか』の長子として、茨城県新治郡土浦町(現、土浦市)に生まれた。常太郎は、土浦小学校の校長を務め、退職後代言人となり、かたわら、俳句・新体詩を指導する人だった。
1893年(明治26年)(9歳)、土浦小学校を了え、1897年、県立土浦中学校に進んで、1902年に卒業した。その頃から文学を好んだ。翌月東京専門学校師範部(現、早稲田大学教育学部)に入学し、国漢科に転じ、1905年卒業した。成績は終始よかった。
1907年(明治40年)(23歳)、群馬県立中学校安中分校教諭となり、のち、分校長を務め、1911年坪内逍遙に招かれて早稲田中学校教諭に転じた。会津八一と親しく交わった。既に江戸文学に詳しかったと言う。
1912年、早稲田大学高等師範部講師を兼ね、1915年から1919年まで女子英語塾の講師も務め、江戸文学・現代文学を講じた。その頃から難聴に悩み、『聾阿弥』の号はそこに発した。1918年早稲田中学を辞し、1920年、新発足の早稲田高等学院の教授になった。
関東大震災直前の1923年7月(39歳)、(渡辺)可寿と結婚し、のち一女二男を得た。論文や中国文学を盛んに発表した。1925年、早稲田大学高等師範部、1926年、早稲田大学文学部教授となり、江戸文学と中国文学を講じた。
1927年から1929年まで、日本名著全集刊行会が刊行した『日本名著全集 30巻』のうちの13巻を編集し、計約1300ページの解説を書いた。
1932年(昭和7年)(48歳)、(胆石症を病み、心臓麻痺のために没した。『大空院剛誉包摂居士』。土浦の浄真寺(現・土浦市立田町三丁目)の、山口家代々の墓に葬られた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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